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東京地方裁判所 昭和47年(ヨ)2348号 判決

申請人 近藤和雄

右訴訟代理人弁護士 井上庸一

渡辺泰彦

被申請人 株式会社寿建築研究所

右代表者代表取締役 大森恭三

右訴訟代理人弁護士 竹内桃太郎

宮本光雄

主文

本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  申請人の求める判決

1  申請人が被申請人に対して雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対して金一一七万九四三六円及び昭和四九年四月以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り金五万八一〇〇円を仮に支払え。

3  訴訟費用は被申請人の負担とする。

二  被申請人の求める判決

主文同旨

≪以下事実省略≫

理由

一  申請人が昭和四六年一〇月一二日に被申請人に雇傭され、被申請人の建築設計業務に従事していたこと、被申請人が昭和四七年七月一日に申請人に対して解雇する旨すなわち本件一次解雇の意思表示をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。そこで、一次解雇の理由について考察する。

1  ≪証拠省略≫をあわせると、次のとおり認めることができる。

申請人は昭和四七年一月広島市障害児福祉センター建築工事の実施設計要員として大塚利明を主任に所員北條宏行及び山下吉宜とともにその作業に着手し、実施設計図面担当分をスケジュールに合わせて完成させるべく従事していたところ、同月二九日午後二時頃副所長泉川博から茨城県立リハビリテーション・センター鉄骨造車庫工事設計図の写図を同日中に仕上げるように命ぜられた。しかし右写図作業が残業をよぎなくされるものであったので、泉川副所長に対し「残業をしなければ終りそうもない仕事をなぜ突然いいだすのか。」「トレース(写図)ならば誰にでもできるのであるから、所員の残業ではなく外注で消化することができるし、いままで会社がいってきた残業廃止の方針に矛盾するのではないか。」と申請人は反論したが、これに対して泉川副所長が「そうなことをいうなら、もうやらなくてもよい。」と居直ってしまい、またこのいきさつを聞いていた大塚主任が右写図をする旨を申し出る始末であったので、大塚主任にさらに負担をかけさせないためにやむをえず右写図作業を引き受け同日午後一一時に及ぶ残業をしてこれを仕上げた。もっとも右写図はかねて泉川副所長が大塚主任及び北条所員に命じておいたものだったことから、大塚主任の右申出となったのである。そして当時被申請人の従業員の残業についていわゆる三六協定はできていなかったし、残業はできるだけしないようにとふだんいわれてきた。

かように認められる。右認定の事実によれば、申請人の反論は、業務上の指揮命令に対し、一応の意見を述べたにとどまるものであり、かつ、その内容において必ずしも不当なものとはいえないから、これをもって被申請人の業務遂行にかける協力体制に悪影響を及ぼしたとみるのはあたらない。

2  ≪証拠省略≫をあわせると、次のとおり認めることができる。

申請人は同年六月二〇日頃たまたま東京都の東京港建設事務所から被申請人あての工事入札に関する引合の書類を受け取るために次の日の午後五時までに来所されたい旨の電話を受けたが、これに関する被申請人の担当者を尋ねまわってみても判明しなかったので、総務部長岩瀬高次に右電話内容を報告したうえ、自ら右の引合書類を受取りに行くべく東京港建設事務所の位置を地図で確認して出かけようとしたところ、主任依田満から「君が行く必要はない。」と制止された。翌朝再び右事務所から電話がはいり、これを受けた主任吉田隆幸も前日の申請人同様在室者に問い合わせているのをみて、申請人は前日同旨の電話を接受した手前在室していた設計室長坂田淳に対し右電話内容について尋ねてみたが、全く知らないということであった。このように当惑する事態を避けるために、かねてから泉川副所長が定例座談会などの機会にその時点で被申請人が抱えている仕事を遂一説明していることと考え合わせ、右のような電話の件に関する被申請人の事務体制の無責任さを思い、申請人は坂田室長に対し「このように所員又は室長も知らない電話では、受けた人も電話をした方も非常に困るので、電話のはいる可能性のある件はあらかじめ知らせてほしい。」と申し出たのであるが、同室長が申請人の右申出の趣旨を掬んで容れる雅量もなく、いきなり語気をあらためて「知らせなければならない件と知らせる必要のない件がある。」といって取り合わなかったことから、両者の間に口論が交わされた。

かように認めることができ、右認定によれば、申請人の右電話の件の処理は相当というべきである。もっとも≪証拠省略≫によると、右口論のやりとりのなかで申請人が坂田室長に対して「これから電話があったら俺は知らねえといってやっからなぁ。」と切り返すところもあったことが認められるけれども(≪証拠判断省略≫)、この一言は前記、認定事実に照らして片言隻句に過ぎないし、そのために申請人の前記電話処理につき評価を枉げるべきではない。被申請人が一次解雇の理由として主張する抗弁2、(二)は理由がない。

3  ≪証拠省略≫をあわせると、次のとおり認めることができる。

申請人は昭和四六年暮に上司の依田主任から命ぜられてファミール屏風が浦マンション新築工事の建物面積計算の最終チェックに従事し、以来修正を続けていたところ、昭和四七年六月二六日に当時最終段階に入っていた広島市障害児福祉センターの新築工事の実施設計作業について予定打合わせ会議がおこなわれ、担当者のチェックにもとづく修正作業が急がれていたので右福祉センターの修正作業を泉川副所長から命ぜられるにいたったが、前記マンションが一階及び二階賃貸店舗、三階から一〇階まで分譲住宅のいわゆる下駄履マンションで面積計算が複雑かつ厳正であるうえ依田主任からその週いっぱい(当日は火曜日である。)で完成するように指示されたものであることから、右打合せ会議の席上泉川副所長から右面積計算の完了の日時を尋ねられた際、同人に対し「こんごどのような数字の違いが出てくるか予測がつかないので、その完成期日についてははっきりしたことがいえない。」旨を答えた。しかし同人がかさねて完成期日の明言を求めたので、とりあえず依田主任の指示する完成期日の範囲で「あと三日位」と答えるほかなかったが、右面積計算が予想外に順調に進捗して翌日をもって完成し、翌翌日から右福祉センターの実施設計修正作業に参加し、他の所員らとの共同作業により期限までにこれを完成した。

かように認められ、申請人が右面積計算の完了予定が容易に立つものであるのにことさらにその予定が立たないなど単なる反抗をしたこと、及び右修正作業の協力を渋って他の所員が申請人との共同作業を拒否するようになったことを肯認するに足りる証拠はさらにない。したがって一次解雇の理由として主張する被申請人の抗弁の一、(三)もまた採用しがたい。

右1から3までにみたとおりであるから、解雇理由として被申請人の主張するところはいずれも首肯しがたいものというべきである。もっとも申請人のその上司に対する態度にやや狷介の嫌いがうかがわれないでもないが、しかしその程度が嵩じて解雇するほかないものであることを肯認するに足りる疎明はみあたらない。したがって一次解雇はその効力がないといわなければならない。

二  被申請人が昭和四八年四月七日に申請人に対し同年五月七日をもって解雇する旨すなわち本件二次解雇の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。二次解雇の経緯について以下に考察する。

≪証拠省略≫を総合すると、次のとおり認めることができる。

申請人は、一次解雇が解雇権を濫用した不当解雇であるとして、解雇直後の昭和四七年七月七日から当時申請人が所属していた建設関連産業労働組合と相携えて解雇撤回をたたかいとることを目指してこれに挺身するにいたった。これに対し、申請人の解雇に関する被申請人の業務担当責任者である泉川副所長は、意外にも申請人のいわゆる就労闘争が果敢に展開されていく事態にあい、この種の労使間折衝に全く不慣れなハンディもあって、同月二六日までの当初の間はもっぱら申請人及び組合のペースで事が運ばれ、申請人に対する一次解雇の撤回に向けて争議の早期解決に努力するとの趣旨を確認させられる羽目になり、その旨の確認書の末尾に「この確認書は会社の意思決定を拘束するものではない。」と付記するのが精一杯であった。ところが被申請人の委任にもとづいて弁護士竹内桃太郎は、同年八月二日に、泉川副所長らとともに交渉委員として同日の労使間団体交渉に臨んだが、組合員は誰でも団体交渉に出席でき、しかも出席した以上当然に交渉委員たりうるとする組合のたてまえのもとに騒然としたいわゆる大衆団交方式の様相を看て取るや、このような情況下において交渉にはいるわけにはいかない旨を告げて同日の団体交渉の打切りを宣し、たちまち申請人及び組合側の烈しい実力阻止にあうや、一一〇番をしてパトカーの出動による警察の援護のもとに被申請人側の全員引揚げを断行した。そしてこれを転機として、以後申請人及び組合の就労闘争に対しては厳しく対応してゆく方針のもとに被申請人は同月三日に申請人及び組合に対し書面をもって、泉川副所長の前記確認書の趣旨にもかかわらず、被申請人の意思決定として一次解雇を撤回することはできないとの結論に達したこと、したがって申請人の解雇を撤回するという方向での団体交渉には応じられないこと、ただし、いわゆる条件交渉には応ずる用意があるが、しかしその場合の団体交渉においても出席者の人員制限及び氏名明示の要求が容れられないかぎり交渉に応ずるわけにいかないこと、解雇不撤回の結論はもはや不動のものであるから、これを争うには法的手続に移行するほかないこと、申請人のいわゆる就労闘争としておこなわれる所内立入り行為により被申請人の業務が妨害され、秩序が紊されることは到底忍受しがたいところであるから、申請人の所内立入りは許容されないこと、及び、今後一次解雇に関する折衝その他連絡については被申請人からその一切を委任された第一協同法律事務所の弁護士竹内桃太郎、宮本光雄のいずれかにされたいことを通告した。かくして申請人は同月七日に本件仮処分申請をし、同年九月から一一月までの間三回にわたる審尋期日を経て、昭和四八年一月三〇日の第一回口頭弁論期日から証人尋問等の証拠調にはいった(このことは一件記録上明らかである。)。ところが申請人は、被申請人の右通告を無視して引き続き被申請人事務所内に立ち入り、解雇の撤回を要求して団体交渉の要求等のいわゆる就労闘争を展開することにもっぱら終始し、その間後記のとおり、所内立入りによる業務妨害を執拗に繰り返したのみならず、あくことなき暴力行使をくりかえし、かつ、被申請人に対する嫌がらせのかずかずを冒してやまなかった。そこで被申請人は、申請人の業務妨害等の反覆累行(後記1から25まで)により被申請人と申請人間の雇傭上の信頼関係がもはや回復しがたいほどに毀傷されてしまったとして、二次解雇の意思表示をするにいたった。

1  申請人は、組合員約五名の者と共謀のうえ、昭和四七年七月一八日午後六時半頃東娯ビル二階被申請人事務所前廊下において、被申請人が申請人らとの応待を拒否して事務所入口扉に施錠したことを知るや、口口に「開けろ」「団交しろ」などと大声で叫んだり、扉や仕切壁をしきりに叩いて事務所内にただならぬ音響を、ひびかせたり、配電盤のスイッチをいたずらして所内の電灯を点滅させたりなどしながら、約一時間にわたって当時所内にいた総務部長岩瀬高次、所員吉田及び清水らの執務を妨害した。もっとも申請人らの右来所は、同日団体交渉が予定されていたというものの、被申請人側の都合によりこれを延期する旨の通知がすでに前日午後一〇時頃組合の三野輪委員長あてに、そして当日朝申請人あてに告げられていたにもかかわらず、右延期通知を無視して押しかけてきたものである。

2  申請人は、三野輪執行委員長以下組合員ら十数名の者と共謀のうえ、同月二〇日午後六時半頃同事務所において扉の内側から岩瀬総務部長及び吉田所員の両名が交交「いまは泉川も坂田も不在でありしかも他の所員が執務中であるから」といって入るのを拒んだにもかかわらず、口口に「泉川はどこにいる」「団交に応じろ」などと喚き散らし、そこで右所員両名が「静かにして」ほしいというと、ますます激昂して仕切壁などを叩いたり蹴ったりしながら同人らの制止にもめげず所内に押入り、同所において残業に従事していた他の所員が執務を断念して退社するのほかなきにいたらしめ、さらに同日午後八時半頃泉川副所長が岩瀬総務部長の電話要請により出先の建築設計協同組合の幹事会議の途中から急拠帰社するや、泉川副所長を取り囲んで同人に対し「団交を開け」「解雇理由をいえ」「解雇を撤回しろ」などと喚きたて、入れかわり立ちかわり罵声を浴びせながら、同日午後一〇時二〇分頃まで四時間に及んで被申請人の業務を妨害した。

3  申請人は、同月二五日午後一時過ぎ無断で被申請人事務所内に立ち入り、折柄執務中の泉川副所長に対し「俺は仕事をするため事務所に来ているんだから、給料を支払え。」「事務所に入るのを拒んでも、俺には脚があるから、どうしても入って来るからな。入れたくなかったら立入禁止仮処分でも出してもらったらどうなんだ。」「とにかく給料を払え。」などと大声で喰ってかかり、同人が「いま仕事をしているし、君には解雇予告手当も出してあるのだから、給料を支払うことはできない。」といって相手にしない態度をとっているにもかかわらず、約三〇分間同人にまつわりついてその執務を妨害し、さらに岩瀬総務部長に対し「俺に給料を払え。解雇をしたのはおまえ達じゃないか。」などと喚きたて、給与支払日当日の計算事務に従事して同人が入れている算盤をしばしば崩すなどしてその執務を妨害した。

4  申請人は、組合員ら十数名の者と共謀のうえ、同年八月八日午前九時半頃被申請人事務所にいきなり押入ろうとしたが、泉川副所長及び坂田室長の両名に制止され、その要求の即時団交交渉開始を拒否されるや、同事務所廊下付近において口口に「なにいってんだ」「五〇面さげてなんだ」「おまえのやっていることは不当労働行為だ。」などと大声で叫んだり、同人らを罵倒したりして同所東娯ビルを騒然たる状況にさせ、そこで同ビル管理者加藤庶務課長から「ここは共同貸ビルであるから、ビル内での騒ぎは拒否する。速かに退去されたい。」旨勧告されたにもかかわらず、かえって同人にまで喰ってかかる始末であり、ついに同人の一一〇番によりパトカーが出動するに及んで、ようやく退去したのであるが、同日正午過ぎまで約三時間右騒ぎを演じて被申請人の業務を妨害した。

5  申請人は、同月二一日午前一〇時頃同事務所内に無断で立ち入り、執務中の岩瀬総務部長に対し「社長の所在をいえ。総務部長として知らぬとはなにごとか。」「おまえは会社でなにをやっているのかよ。」などと大声で喚きたて、また「老いぼれ」などと罵声を浴びせたり、同人の机を叩いたりして約一時間その執務を妨害した。

6  申請人は、同月二三日午前一〇時頃同事務所において、たまたま現場業務に出かけようとした泉川副所長にあうや、同人に対し「どこへ行くんだ」「解雇を撤回しろ」などといって、同人を強く押し返して同所入口付近にあったロッカーにぶちつけ、同人から「暴力はやめろ」といわれると、「こんなのは暴力でないんだ。おまえのやっていることが暴力だ。」「暴力だ、暴力だと、いい年をして泣言をいうな。」などと面罵しながら二度、三度にわたってその体を同人にぶつけて背後のロッカーに同人を烈しく打ちつけるなどして、同人の業務を妨害した。

7  申請人は、同月二五日午後三時五〇分頃同事務所内につかつかはいり、執務中の岩瀬総務部長に対し「給料を支払え」「社長の所在をいえ」などといって同人の執務机を叩き、その腰かけている椅子を足で蹴るなどして、約一時間に及んでその執務を妨害した。

8  申請人は、同年九月八日午後一時頃同事務所内に押入り、執務中の泉川副所長に対し「解雇を撤回しろ」「おまえは三度の飯を喰っている。俺はいまどうしているのか知っているのか。」「おまえのそんな仕事はやめろ。」などと大声で喚きながら約四〇分間に及んで同人の執務を妨害した。

9  申請人は、組合員らと共謀のうえ、組合員らにおいて、同月一四日頃横浜市旭区左近山団地五街区一号棟(泉川副所長居宅は同棟三〇三号である。)の階段登り口及び踊場の壁、ダストシュート、土留擁壁ブロック並びに付近電柱等に組合名で一次解雇に関して被申請人及び泉川副所長を中傷する内容のビラを五十数枚所構わず貼り付けて、被申請人に対する嫌がらせをおこなった。

10  申請人は、同月二〇日午後三時半頃同事務所内に無断で立ち入り、執務中の岩瀬総務部長に対し申請人に関する離職票の作成を要求していろいろ喚き散らしているうちに次第に激昂してくるや、同部長の執務机及び椅子を叩いたり蹴ったり、激しく罵倒したりして、同日午後四時五〇分頃まで同人の執務を妨害した。

11  申請人は、同年一〇月九日午後一時頃同事務所内に無断で立ち入り、執務中の岩瀬総務部長に対し前同様にして約一時間その執務を妨害した。

12  申請人は、同月一七日午前九時頃同事務所内につかつかはいり、たまたま通勤途上東横線都立大学駅出口付近で申請人の解雇に関する組合名のビラが通行人に配付されるのをみてそのまま出社してきた岩瀬総務部長に対し「けさ駅でビラを配っていたらおまわりに注意された。貴様が通報したのだろう。」と因縁をつけたうえ、「組合活動を阻止しているとは思わないのか。覚えていろ。」などと怒鳴って同人を嚇すなどして、被申請人に対する嫌がらせをおこなった。

13  申請人は、同月二二日午後一時四〇分頃同事務所内に無断で立ち入り、執務中の岩瀬総務部長に対し「社員慰安旅行に参加させろ。」「なぜ参加させないのか理由をいえ。」「社長と木下(所長)へすぐ連絡をとれ。」などと喚きたてながら約四〇分間に及んで右部長の執務を妨害した。

14  申請人は、組合員一名と共謀のうえ、同月二七日に被申請人社員慰安旅行先の和歌山県賢島のホテル入口付近において、ゼッケン着用姿に「解雇撤回」などと書いたプラカードを持ったうえ、被申請人社員一行の搭乗しているマイクロバスに向って大声で抗議のシュプレヒ・コールをしたり、駅前辺の電柱等数個所に「不当解雇撤回」と書かれたビラを貼り付けたりして、被申請人に対する嫌がらせをおこなった。

15  申請人は、組合員一名と共謀のうえ、同月二八日午後四時過ぎ頃近鉄京都駅改札口付近において、被申請人社員一行が同駅に到着して右改札口を出るやいなや、前同様ゼッケン及びプラカード姿にて衆人環視のなかを憚るところもなく一行の前に立ちはだかって「解雇撤回」などと大声でシュプレヒ・コールを繰り返し、とくに一行中の泉川副所長目がけてぶつかってゆき、同人に対し「俺を放っといて旅行とはなにごとだ。」と大声で喰ってかかり、さらに同駅から一行の宿泊先であるグランドホテルまでにいたる電柱、歩道橋などに前同様のビラ数十枚を貼り付けたりして、被申請人に対する嫌がらせをおこなった。

16  申請人は、組合員らと共謀のうえ、組合員らにおいて、同年一一月一一日頃前記団地の同箇所のほか同団地管理にかかる掲示板二箇所に前同旨のビラ六十数枚を所構わず(掲示板ではすでに掲示されたもののうえからこれを蔽い隠すようにして)貼り付けて、被申請人に対する嫌がらせをおこなった。

17  申請人は、組合員約七名と共謀のうえ、同月一四日午前七時一〇分頃前同団地号棟付近路上において、折柄出勤途上の泉川副所長に対し、場所柄も辨まえず口口に「団交要求に来た」「なぜ団体交渉をやらないんだ」などと大声で喚きたてて静かな朝の団地住宅街に時ならぬ騒ぎをひびかせたうえ、組合書記長矢久保建生が右泉川の襟首を締めあげ、腹部に拳を当てがって強く押すなどし、申請人が同人の肩に手をかけて押すなどして、被申請人に対する嫌がらせをおこなった。

18  申請人は、昭和四八年二月二〇日午後二時半頃被申請人事務所内にいきなりはいり、泉川副所長に対し「団交を開け」「解雇を撤回しろ」などと詰め寄り、同人がこれに取り合わずにドラフターを手にして製図作業を続けていると、同人のその手を押えて製図作業を中断させたうえ、「仕事とはなんだ。俺をどうするんだ。」「もういい加減に解雇を撤回しないと大変なことになるぞ。」などといって約一時間に及んで同人の執務を妨害した。

19  申請人は、組合員数名と共謀のうえ、同年三月七日午前九時五分頃東娯ビル一階入口付近において、折柄出勤してきた坂田室長に対し「解雇を撤回せよ」「団交を開け」などと銘銘叫びながら同人を取り囲んで胸部を小突いたり、腕を引っ張ったりして同ビル二階被申請人事務所に上ることを阻止し、さらに同日午前一〇時頃同事務所入口付近において、組合員五名の者が同室長を前後から挾み撃ちにして同人の胸を小突いたり、腕を捩じ上げたりして、被申請人に対する嫌がらせを行なった。

20  申請人は、組合員数名の者と共謀のうえ、同日午前九時過ぎ同事務所内にいきなりはいり、折柄執務中の泉川副所長に対し「いつまで団交を拒否しているのか。」「即座に団交を開け。」などと口口に叫びながら約二時間に及んで同人の執務を妨害した。

21  申請人は、組合員八名(男六、女二)と共謀のうえ、同月一四日午後五時五〇分頃同事務所内にいきなりはいり、「きょうの団交はこの事務所で開く。」「ここなら時間にかまわずにやれる。」などと一方的にきめつけ、応接セット付近において、申請人が前方から組合員二名が側方からそれぞれ立ちはだかって泉川副所長をロッカーに押えつけ、同人が再三にわたって「これは話(同日午後六時半から八時まで目黒福祉センター集会室で団体交渉をおこなう旨の同月七日付被申請人の回答について、申請人が同日午後二時半頃泉川副所長に対し「通知は確かに受け取った」といって、その日時場所につき異議を留めるようなこともなかった。)が違う。すぐ事務所を出てくれ。」といって退去を促したにもかかわらず、これを無視して同日の団体交渉を「会社内でやる」と口口にくりかえし、書類ロッカー付近において、申請人がその手にした封筒で泉川の頬を数回叩きネクタイを引っ張ったあげく手拳で同人の腹部を殴打し、さらに応接セット付近において、書記長と称する組合員が泉川副所長を押し倒したりして長椅子に坐らせたうえ、申請人ほか組合員数名が同人に対し口口に「解雇を撤回せよ」などといって詰め寄り、罵声を浴びせるなどしながら、同日午後六時四〇分頃まで同人を軟禁した。また、同日午後五時五〇分頃同所において、岩瀬総務部長に対しても同日の団体交渉を同事務所でするといって詰め寄り、同人が泉川副所長の指示により一一〇番しようとするや、組合員二名において電話機を押えたり、同人の右手首を掴んだりしてその通話を妨げたうえ、同人に対し「貴様 老人と思うから(同人は明治四〇年四月生で当時六五歳)、いままで強く出なかったが、つまらぬまねすると、ただではおかないぞ。」などと嚇しつけながら両名の力で同人を窓際まで押し付け、一名が腕を横にして同人の咽喉部へ押さえつけ、他の一名が同人の右手首を捩じ上げて右脇腹を一回突き上げるなどし、さらに同人が外部との連絡の機を窺っている動静を警戒して絶えず同人につきまとい、同日午後六時四〇分頃まで同人を軟禁した。さらに、同日午後六時過ぎ同所において、坂田室長がさきに外出先で同事務所の危急を知り一一〇番してきたばかりであったところ、騒然たるなかで同人をみるや、矢久保書記長が「貴様どこに行っていた」といいながら同人の腕を掴み、申請人及び組合員一名がそこへとんできて同人の前に立ちはだかり「逃げよったってそうはさせないぞ」「団交は会社内でやるぞ」などと喚きたてながら同人の腕や襟首を掴んで奥の方へ引き摺り込もうとし、これに逆らいつつ同人が再度一一〇番する機を窺い社外に出ようとするや、同所エレベーターホール前において、矢久保が同人を羽交絞めにし、申請人が「てめえみたいなもの一人や二人どうってことはない」というなり手拳で同人の脇腹を殴打し、同人がその痛さのあまり前のめりになった一瞬の隙に乗じて外に脱出したところ、またも東娯ビル前舗道上において矢久保が同人に対し襟首を掴んだり、胸を小突いたり、腕を捩じ上げたりして執拗に同人を痛めつけた。このようにして一〇二平方メートルほどの同事務所内を喧騒と混乱の坩堝と化させ、ほしいままに暴力を行使して、被申請人の業務を妨害した。

22  申請人は、同月二〇日午後一時頃同事務所内につかつか入り同所において、坂田室長に対し「事務所で団交をしない理由をいえ。どうして警察を呼んだのだ。」などと喚きたてながら、同人の手を押さえたり、みだりに書類を動かしたり、同人のペンを取り上げて机上に投げつけてペン先を折るなどして約一時間同人の執務を妨害したうえ、さらに「いつも月夜の晩とはかぎらないから気をつけておけよ。」と捨て台詞をいって嚇し、また、岩瀬総務部長に対しても右同様喚きたてたうえ、「一四日パトカーを呼んだのは貴様だろう。貴様の家は二国(第二京浜国道)のそばで門があって塀があって立派な家じゃねえか。いずれ見舞いに行くからな。」といって同人を嚇すなどして、その執務を妨害した。

23  申請人は、組合の執行委員長鈴木茂夫及び書記長矢久保建生の両名と共謀のうえ、同月二二日午前九時頃同事務所出入口付近において、申請人らの闖入に備えて扉が施錠されていたところ、これを激しく叩きながら、「泉川扉を開けろ」と怒鳴り、やがて社員一名が出勤してきた様子を感じて泉川副所長が右扉を半開きにして右社員石田素子だけを入室させようとしたのに乗じて、事務室内になだれこみ、申請人がいきなり泉川副所長を双手突きではね跳ばして床上に四つん這いに叩きつけ、同人に対し「なぜ扉を開けないんだ」と威丈高に叫びざま靴の尖端で同人の臀部を力一杯蹴り上げてその痛さにしばし起てられないようにさせ、ついで同事務所前廊下、便所及びエレベーターホール付近において、矢久保が泉川副所長に対し「団交はいつやるんだ。」「この間の通知は回答になっていない。」などといって詰め寄り、吸差しの火のついた煙を同人の顔面めがけて投げつけ、親指で同人の咽喉部を突きさしなどし、申請人が同人の右腕を引っ張り、拳骨で同人の脇腹を強打し、筒状に丸めた新聞紙で同人の顔面を叩きなどし、さらに東娯ビル二階から一階にいたる踊場付近において、またも矢久保が泉川副所長に対しその腹部を思いっきり殴り、膝で股間をしたたか突き上げて同人がその場で尻餠をつき息ができなくなるほどの激痛を覚えるにいたらしめ、このような情景を嘲けるように申請人が「なんだったら、坐って話をしようか。」などといって同人をあしらい、やがて同人が坂田室長にコート、上衣及び鞄を持参してもらいこれをつけて出かけようとするや、矢久保、申請人ほか組合員一名が泉川副所長を取り囲んで踊り場の壁に同人を押しつけたうえ、申請人が前腕部で同人の顎を突き上げるようにしながら壁面に同人の後頭部をくりかえしぶつつけ、矢久保が同人の胸元を捩じ上げ、靴で同人の足先を強く踏みつけなどした。また、同所において坂田室長が申請人らの暴力行使の現場を撮るべくカメラを構えていたところ、鈴木が同人を扉に押し付けて写真撮影を妨げ、さらに申請人が筒状の新聞紙で同人の顔面を叩き、頭髪を引っ張り、同人の左手を捩じ上げる(これにより左手首関節部捻挫を負う。)などした。なお、申請人らは、右のような暴力行使に際し、一一〇番によりパトカーが出動して数名の警察官が現われるや、現場の状況を言葉巧みに説明して糊塗し、あるいはその死角を狙って陰険な手段を弄しながら執拗に暴力を振った。右のように申請人らは泉川副所長及び坂田室長に対し暴力をほしいままにして、被申請人の業務を妨害した。

24  申請人は、同月二三日午後一時頃同事務所内に無断で立ち入り、岩瀬総務部長に対し「団交に条件をつけた理由をいえ。」などと喚き散らしたあげく、退去際に「いつも月夜の晩ばかりあると思うなよ。」と同人を嚇して、被申請人に対する嫌がらせをおこなった。

25  申請人は、前記鈴木、矢久保ら組合員四名と共謀のうえ、同月三〇日午前九時頃東娯ビル駐車場入口付近において折柄出勤してきた坂田室長をいきなり取り囲み、押し返すようにし、さらに同人が用路先に出向くのを見届けるや、都立大学駅(東横線)前から執拗に同人を尾行するなどして、被申請人に対する嫌がらせをおこなった。

右(1から25まで)のように認められる。≪証拠判断省略≫

三  二次解雇の効力について判断する。

右二の認定事実によれば、申請人は、昭和四七年以降においては、一次解雇の撤回を要求して、ときに単独で、ときに組合員らと共同で被申請人事務所に無断で立ち入るなどして、又は同事務所付近、その他の場所において泉川副所長ら所員に対し暴力を行使して被申請人の業務を妨害し、及び京都、賢島、その他の場所において同所員らに対し嫌がらせをおこなって昭和四八年三月まで九か月に及んでもなおやまないでいわゆる就労闘争を執拗かつ果敢にくりかえしたことが明らかである。

ところで、申請人は、一次解雇が無効であるから、就労闘争として、申請人は被申請人に対し解雇の撤回を要求し、被申請人事務所に立ち入り、就労及び賃金などを請求し、また申請人の所属する建設関連産業組合は被申請人に対し一次解雇に関する事項につき団体交渉を要求し、非組合員たる所員らに対し組合の情報宣伝をおこなったまでのことであり、たといその間多少不穏当ないし喧騒にわたる所行があったとしても、申請人及び組合の右行為はいずれも正当な範囲を逸脱したものではないと主張する。

しかしながら、被申請人は申請人に対し一次解雇により雇傭が消滅したとして被申請人事務所への立入りを拒否する旨を通告したにもかかわらず、申請人は右通告を無視し、終始実力をもって同事務所への立入りを強行したのであるが、一次解雇の効力の有無にかかわらず申請人の右立入行為はもとより違法というべきである。そして同事務所内において、申請人は被申請人に対し就労を請求する旨を告げて(申請人の雇傭関係については、特段の事情のないかぎり、いわゆる就労請求権なるものを認めるべき余地はない。)同所に滞留を続け、又は給料、その他の賃金の支払等を請求して拒否されたからといって暴力を振うなどして所員の執務を妨害したのであるが、右は違法に被申請人の業務を妨害したものというべきである。また被申請人は、申請人及び組合に対し、申請人との雇傭関係の解消を前提とするいわゆる条件交渉には応じる用意はあるが、申請人及び組合が目差している一次解雇の撤回については交渉のかぎりでなく、法律的手続によるのほかないこと、及び今後一次解雇に関する折衝及び連絡等については被申請人からその一切を委任された竹内及び宮本両弁護士のいずれかにされたいことを通告し、これに対し、申請人は、一次解雇の効力を争って本件仮処分命令を申請し、その審理が進行しているにもかかわらず、組合と共謀のうえ、右通告を無視して、ことさらに被申請人の委任にかかる竹内及び宮本弁護士との折衝及び連絡を避け、直接に被申請人に対して一次解雇の撤回自体及びこれを目差しての団体交渉の応諾を要求したのであるが、このような事情のもとにおいては、委任及び代理制度の社会的機能に照らして、被申請人が申請人及び組合の右要求を容れなかったからといって、これをもって組合との団体交渉を不当に拒否したものということはできない。しかも申請人及び組合は、被申請人に対する右の直接要求を力ずくで貫徹することを企てて、あまりにもしばしば、被申請人副所長泉川博以下の所員らに対し暴力を振ってやまなかったのであるが、これは申請人及び組合の権利行使に藉口した暴力行為であるというのほかはなく、その違法性は顕著というべきである。さらに申請人及び組合は、泉川副所長の居住先で被申請人の業務となんらかかわりもない団地住宅街において、一次解雇に関し泉川副所長を中傷する内容のビラを壁面及び掲示板等に無断で貼り付けたり、同人ら被申請人従業員が団体で慰安旅行に出かけた先の京都等において、同人ら一行を待ち伏せるなどしてこれに対し「解雇撤回」などと大声でシュプレヒコールを浴びせたりなどして被申請人に対する嫌がらせをおこなったのであるが、組合のいわゆる情報宣伝活動であるとはいうものの、明らかに行き過ぎであり、到底正当な行為たりえないものというべきである。申請人は、申請人らの暴力の行使について、被申請人の先制的暴力行為に対する申請人らの正当防衛でもあると主張する。そして、≪証拠省略≫によると、坂田室長は昭和四八年三月一四日午後六時二〇分頃被申請人事務所において申請人及び矢久保建生ら組合員が被申請人に対し団体交渉の場所に関する協議の申入れをした際、これに激昂して申請人及び矢久保に対し暴力を加え、よって矢久保に加療五日を要する左下腿部擦過傷を申請人に加療四日を要する右顔面打撲傷を負わせたとして、申請人及び矢久保は同年四月二八日に告訴をしたことが認められるが、仮に右告訴にかかる傷害が坂田室長の同日同所における暴行によるものであるとしても、その場の情況については、前認定により、被申請人側の泉川副所長及び坂田室長らの先制的暴力行為などありえなかったことが明らかであるから、≪証拠省略≫中申請人の右主張に符合する部分はにわかに措信しがたく、ほかに右主張を首肯するに足りる疎明はない。

以上述べたとおり、被申請人の従業員である泉川副所長ら所員に対する暴力の行使、被申請人に対する嫌がらせ及び被申請人の業務の妨害においてそのつど申請人がはたした所為の動機、態様、結果並びに非違行為の反覆累行及び影響等を総合して考えると、他方において被申請人が申請人に対し合理的理由なくして一次解雇をおこない、かつ、これに承服しなかった申請人をその従業員として取り扱わないで終始したことの縁由的事情を考量しても、なお、被申請人が申請人との雇傭関係をもはや維持しがたいものとして二次解雇をおこなったことについては、十分合理的理由があり、社会通念上相当と是認されるものというべきである。

申請人は、二次解雇は、就業規則に規定する解雇事由のいずれ(とくに被申請人の主張する就業規則三条三号の「会社の命令に反し業務遂行上支障を生ずる行為をしたとき」)にも該当しないから、無効のものというべきであると主張する。しかしながら、期間の定めのない雇傭契約においては、使用者は民法六二七条一項の規定により解雇の自由を有する。したがって、使用者が就業規則に解雇事由を規定した場合においても、特段の事由のないかぎり、右の解雇事由は例示的なものにとどまり、これによって、自由な解雇権を自ら制約したものということはできないから、使用者は、その解雇権の行使が権利の濫用にわたると認められる場合を除いて、就業規則に規定された解雇事由に該当しない解雇といえども、これを有効になしうるものと解すべきである。申請人の右主張は採用のかぎりでない。そして、二次解雇については、すでにみたところにより、解雇権を濫用したものとみる余地のないことも、また不当労働行為が成立する余地のないことも明らかである。申請人の主張はこの点においても理由がないというべきである。

そうすると、本件二次解雇はその効力があるものと是認せざるをえないから、被申請人と申請人間の雇傭関係は二次解雇により昭和四八年五月七日をもって終了したといわなければならない。

四  以上述べた理由により申請人が被申請人の従業員たる地位にあることを定める仮処分の被保全権利の存在については、その疎明がないというのほかはないし、保証を立てさせて疎明に代えることも相当でないというべきである。

賃金債権については、一次解雇当時の平均賃金が月額五万三〇〇〇円であること、及び昭和四七年七月支給夏期一時金が四万円であることは当事者間に争いがない。したがって昭和四七年七月一日から昭和四八年五月七日までの賃金総額が五八万一九六八円であることは計算上明らかであるから、申請人が右賃金債権を有することが疎明される。しかし申請人は昭和四八年五月七日をもって被申請人の従業員たる地位を喪失し、かつ、右賃金債権はその履行期の最も遅いものからしても約一年を経過したものであるところ、右賃金支払いの仮処分を必要とする特段の事情が存することを肯認するに足りる疎明はさらにない。

よって、本件仮処分申請はいずれも理由がないから、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中川幹郎 裁判官 原島克己 大喜多啓光)

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